こんなあなたの助けになります!
1、国語が好きじゃない小中高校生。その保護者の方。
2、国語のテストで点数を取りたい小中高校生。その保護者の方。
3、国語の授業作りに悩む先生方。
もくじ
1、国語嫌い防止のために「読解」と「鑑賞」を分ける。
2、「国語の答えはひとつじゃないよ」って言われたことないですか?
3、生徒が混乱し、国語嫌いになる理由
4、「羅生門」で考える、「読解」と「鑑賞」

「国語の答えはひとつじゃない」とか言うくせに、テストだと「この答えじゃないとダメ」とか言われてウザいんだけど。

ステューデントくんのような生徒、めっちゃいるんだよ…。納得してもらえるように話すね!
1、国語嫌い防止のために「読解」と「鑑賞」を分ける
読解▶︎本文中の根拠をもとに、理由をつけて内容について説明できること。
鑑賞▶︎内容をもとにその作品へのイメージを膨らませ、作品を味わうこと。
この二つがごちゃ混ぜになってしまっている授業がとても多いです。
これでは国語に対して曖昧な印象を与え、きちんとやりたい!と思っている生徒を国語嫌いにしてしまいます…。
「なぜそうなるのか説明できる」このことを重視するだけで国語の授業はガラッと変わります!!
2、「国語の答えはひとつじゃないよ」って言われたことないですか?
小学生の頃、よくこんなこと言われてませんでした?
生徒「はい!はい!はい!はい!」(挙手の嵐)
先生「じゃあ、〇〇くん!」
生徒「□□だと思います!」
先生「そうだね!そういう答えもあるよね!国語は答えがひとつじゃないからね⭐︎」
みたいな。
でも、中学くらいになると。
(テストが返されたとき)
生徒「せんせー、この答え、これじゃダメっすか?意味一緒だと思うんすけど。」
先生「これは〇〇って言葉が入ってないとダメ!」
生徒「(は?答えはひとつじゃないって言ってたじゃん)」
2、生徒が混乱し、国語嫌いになる理由
これはズバリ、
国語のふたつの面をごちゃ混ぜにしている先生が非常に多いからです。
国語において、生徒につけさせたい力は実は2つに分かれているんです。
「文章を論理的に正しく読解する力」と「ひとつの作品を鑑賞する力」です。
高校の定番教材、「羅生門」を例に考えてみましょう。
3、『羅生門』で考える「読解」と「鑑賞」
「羅生門」とはご存知、芥川龍之介の作品で、高校の教科書に長年にわたって掲載されている作品です。
荒廃した都でリストラされ金なし家なしの下人が、死人の髪を抜く老婆と出会い、やりとりをするうちに闇堕ちしてしまうというあの作品です。
「下人の行方は誰も知らない。」この最後の一文はあまりにも有名。
さて、ここで問題です。
「下人はどこに行ったと考えられるか」という問いはテスト問題になりうるか?
答えはNOです。
なぜなら、本文中に明確な答えやその根拠がないからです。こういう問いはテスト問題にはなり得ません。
根拠不足で論理的に「読解」することはできません。
しかし、読者は想像することはできます。
「あんな老婆の着ていた着物を奪ったところでお金になんかならないから、結局のたれ死んだのではないか。」
「この老婆の着物を奪ったことをきっかけに、盗人として生きていったのではないか。」
「罪の意識に苛まれ、自殺したのではないか。」
などなど、いろいろな答えが出てきます。書かれている情報から、想像を膨らまし、楽しむ。これは「鑑賞」です。
この、根拠を本文に求めて論理的に答えを導き出す「読解」と本文に書かれている内容を土台に想像する「鑑賞」を区別せずに教えてしまうと、ステューデントくんのように国語に不満を持つ生徒が増えてしまう、とぼくは考えています。
「なぜ、その答えになるのか」これを明確に説明できる問題のみをテストには出題すべきだと思います。
そしてもちろん、本文を土台に、生徒の豊かな発想を引き出す鑑賞も大切にする。
何より、その二つを区別し教える努力をすることが、国語嫌いを減らし、国語に親しむ生徒を増やすために大切だと思います。
今日のまとめ
「読解」と「鑑賞」を区別しよう!

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